
早朝に電話が鳴って
受話器の向こうがめったにかけてくることがない祖母であって
テレビをつけてみろという。
テレビの中では、
町が燃えていた。
1995年のことである。
弟が神戸に住むというので
市内の物件を探して歩いたのが、その数年前。
祖母は、弟と連絡が取れないという。
1月17日は
あれはたしか火曜日で。
前日の月曜日の新聞には
「伸びゆく関西経済圏」というような見出しが一面に出ていて
それはセンター試験の問題が掲載されている紙面を購入したので
ことさらに記憶に残ったのであって。
大宮での仕事があって
仕事先の学校では事務室でテレビがつけっぱなしになっていて。
いくつも置いてあって。
その画面のどれにも町は燃えていて。
須磨区に住む弟の無事はなんとか確認できたが
それ以上
何もすることは出来ず。
あれから
震災から15年経った神戸に
弟とでかけて。
それぞれの妻と、つまり4人で。
桜の頃の、肌寒い町を
ただあるきまわり、
たらふくメシを食って。
ときおり声をあげて笑って。
生きていて。
その日その日のメシを食い、
折々の花をいけつつ。
1月17日だから、思い出すのではなく。
その日その日を充分生きようと願うこと、
そんな日常に、あの日の記憶が染みこんでいるのであって。