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たとえばそれは、九九の如く。

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太陽が出ているうちに、氷点下。

寒いねぇ。






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九九をいつ頃覚えたのだろうか。

知識というよりも、どちらかといえば身体の一部。

言葉は私がコントロールしなくても、まずは発音され耳に届き。




九九のように

ウチなるところから出てくる言葉。



夏蜜柑いづこも遠く思はるる     永田 耕衣


たとえば。



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皿を並べてみる。

○を並べる。

○の中に○。



知識を経由しない言葉を探り出すために、
見えるもの、触れるものを
本を読むように、もてあそんで。




たちずさむもの、それはこうのとりばかりではなく。

 
映画監督のテオ・アンゲロプロスが亡くなった。
撮影中の交通事故だという。





「旅芸人の記録」

その長い1シーンに歴史の転換を込めてしまう衝撃。

家族の愛憎は神話を繰り返し。
曇り空ばかりのギリシャ、
ぬかるみを歩く革靴の音、重さ。

それは古代と近代との輸血不適合のような苦しみだったのか。





経済危機の混迷のさなかにある現在のギリシャを
彼はさらにどう描こうとしていたのか。





合掌。




桐生は雪が降らなかったのですが。

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夜は雪。

川越での仕事。



空に向いているライトに雪が降り込んでいて、

ライトの熱で雪が蒸気となり、

その蒸気にさらに雪が降り注ぐ。



降る雪を仰げば昇天する如し   夏石 番矢




この場所で雪を見たのは
昨年の2月。

四国に旅に出て
その帰りにやはり川越で仕事をして、
駅前で、昇天の雪。


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東京は雪と聞いた。
川越でも、この降りよう。


関東地方は雪で混乱というニュースも。




桐生は、昨夜から雪など無く。

(群馬だからさぞや降るでしょうといわれるのだけれど、
それは群馬の北か西。)



ここは関東地方ではないのだろうか。


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いい天気になりました。


類推のワダチ。

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夕焼けが映り込む建造物があって
夕陽そのものは見えていなくて。




夕焼けだとわかるのは
時刻がそうだからか
あの色は多分そうだと認識するからなのか。

類推のワダチ。




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ほんとうに夕陽があるのか。

あの色は、夕陽の色なのか。






夕陽が見えるところまで歩いて移動して。




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ああ、まさに。








あの赤信号の色、ではあるまいが。


歩いていたのは夕暮れの町
歩いていたのは類推のワダチ。



寒く足早に。









 

山だけ雪化粧。

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外に出てみたら
雪化粧、吾妻山。




ゴリラの背中。



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山だけ雪化粧。





手前はノコギリ屋根。
間の岡は動物園。
そのむこうに雪うっすらと桐生の山。









今朝、なんとなく。



羽化もせずもう酢海鼠となつてゐる  耕司






狼に降る雪。

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空から降ってくるもの。


しばらくぶりだなぁ。




ひと月以上降っていなかったところに
今朝の雪。








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雨や雪以外にも
何かが降り続けていたのかもしれないけれど。








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雪が降って
世界がひとつのいろに染まりはじめて。

見えている世界
その時間の蓄積やら人々の営みのごちゃごちゃやらも
白く
遠く。




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狼に降る雪と決め舌を出す       山田 耕司




 

ねこの貫禄。

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どこにいくのだろうか。


どこにいくとはきまっていないのだろうが、
それでもどこかへいこうとしているようなうしろすがた。



ねこの貫禄。






大きさではない。
生きてきた年数ではない。


おびえもなく
へつらうこともなく
ここからそこへあるいてゆけば
ここからそこが道となるような気配の堂々。



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ふりむいて
こちらを見てはいるけれど。

からだは遠ざかる気配にて、日だまり。


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日本画の画面に押す印のように、
よいところに陣取って、日だまり。


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なるほど

かわいたシュロの葉を座と決めて。









なにかをしているわけではないけれど
なにもしていない
というふうには見えない。

なにもしていないことをしているという気配。


ねこの貫禄。



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日だまり。
銀紙を眼のところに貼付けられて
何かを遠ざけるための警告なのか、ねこ。




何かをしているふりをして早足に通り抜ける私にも、日だまり。






あの1月17日の記憶。

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早朝に電話が鳴って
受話器の向こうがめったにかけてくることがない祖母であって
テレビをつけてみろという。

テレビの中では、
町が燃えていた。


1995年のことである。



弟が神戸に住むというので
市内の物件を探して歩いたのが、その数年前。





祖母は、弟と連絡が取れないという。







1月17日は
あれはたしか火曜日で。

前日の月曜日の新聞には
「伸びゆく関西経済圏」というような見出しが一面に出ていて
それはセンター試験の問題が掲載されている紙面を購入したので
ことさらに記憶に残ったのであって。



大宮での仕事があって
仕事先の学校では事務室でテレビがつけっぱなしになっていて。
いくつも置いてあって。
その画面のどれにも町は燃えていて。




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須磨区に住む弟の無事はなんとか確認できたが
それ以上
何もすることは出来ず。







あれから


震災から15年経った神戸に
弟とでかけて。
それぞれの妻と、つまり4人で。

桜の頃の、肌寒い町を
ただあるきまわり、
たらふくメシを食って。

ときおり声をあげて笑って。







生きていて。
その日その日のメシを食い、
折々の花をいけつつ。



1月17日だから、思い出すのではなく。
その日その日を充分生きようと願うこと、
そんな日常に、あの日の記憶が染みこんでいるのであって。









枯れて、涸れて。

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寒さの中でつけたツボミ。

ちりめん皺。




乾燥しているんだ。






使う日がないので
傘は巻かれた旗や座敷帚などともにしまわれていて。



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水仙は元気。








吐く息の白さは、水。

体内の骨、いまのところは潤っていて。


枯れて、涸れたる、野を歩きつつ。




肋骨に吊すとすれば唐辛子      糸 大八





切り直すべきか、芋ようかん。

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考え事をしていて
いろいろなことを忘れてしまった。


考えているというよりは
思考が停止していたのかもしれないけれど。






論述のフチの
弱いところを
みずから攻めて。




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スパッと四角にされたほうも
スパッと切り捨てられたのも
どちらも、同じ芋ようかん。





もやもやとして、思考。

読み物にするためには
スパッとしたカタチにしたい、のであって。






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論述のフチとはいうが
端々を切り捨てているうちに

すっきり四角になるはずが
目の前に何もなくなってしまうことも、また。






ああ、はやくも1月なかば。


肩をまわして
眼球をもみ。

頭の中の芋ようかん。
またはじめから切り直す。







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