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秋の味。

DSCF6949.JPG 

丹波篠山からのいただきもの
渋皮煮の栗、おおつぶごろごろ。
ぶどうを2種類、クリームチーズ、プロシュート。
古い染付の八寸皿に、宙吹のガラス皿を重ねて。


手羽とエリンギの煮込み。
ショウガで味をととのえて。


「大風呂敷」(店)からのお知らせ。

秋号表紙.jpg 


 お 知 ら せ


季刊「四季の味」秋号



「星月夜」の頁


山田耕司 ささやかに料理。




うつわと遊ぶ。
うつわで遊ぶ。

たのもしい雑誌です。
どうぞご覧下さい。




濡れつつ晴れる。

 

6月のカフェ大風呂敷。

朝から雨と陽射しの縞模様。

骨董市/紗綾市の日。
晴れては来たが、道は濡れて、空も濡れて。

クリームみつ豆。
自家製。
すっきりとガラスのボウルに閉じ込めて。
草の頭窯の小皿にのせて。



母には蕗を。


上州の蕗をだしであっさりと煮る。

茹でなければ苦い。
苦くなくなるまで茹でては、物足りない。

スジを取らなければ食べにくい。
柔らかくしすぎてしまっては風味が無い。

塩気が無ければバカバカしい味、
しょっぱすぎれば、箸がまたぐ。



わが母は、恐ろしく、懐かしい。
わが母は、たくましく、かわいらしい。

年を重ねて
さほどマルくもまとまらず、
思うがままに生きる、その自在。

ときに自らを倦み、ときに世を嘆いても
驚くべし、その回復力、すぐにまっすぐ。
スジも苦みも失わず、そのほどほどを佳しとして。

煮上がった蕗を差し入れする。
母の日、という言葉は互いに一度も言わず。
食卓に
サクサクと噛む音だけが響く。
気持のよい音である。



 

山椒おにぎり

 

山椒のおにぎり。

母が煮た山椒を混ぜ込む。



鉄鍋で五合。
ほうれん草のごまよごし、新ごぼうのきんぴら、牛肉の味噌漬けを添えて。

米は群馬のひとめぼれ。



家族で囲む朝ご飯。
力仕事の景気づけ。



黒糖と地鶏卵のアイスクリーム


キレイに晴れた。

桐生市内は 骨董市 紗綾市 楽市蓙座
有鄰館の春まつり。

黒糖と上州地鶏の卵でアイスクリームを作る。

青い皿にガラスのボウル。白山吹の緑を添えて。



外で水を撒く。
山々の色を見ながら
手元の緑たちを潤す。 

タケノコを前にたゆむべからず。


さて、タケノコの季節である。
タケノコが手元に来てしまうと
何をおいても、その手当てを始めることになる。
糠をいれて下煮するのである。

大分県中津にうかがってからはやいもので3週間ほど経つ。
あれは龍岩寺であった、
杖をついての急な道、
岩窟の木像を拝しての下り坂、
上りには気がつかなかったが、
その参拝の道の傍らの土が盛大に掘り返されていて
散らかるのはタケノコの皮。
イノシシだ、イノシシだ
と横山康夫さんと山道をくだりながら
明るい池のある境内へとたどり着いた。

「食べ時」というものがあるのであろう、
その時を逃さないようにと食い散らかした気配が漂う。

タケノコは
ぼんやりさせてはくれないのである。

掘り出され
切り口から水分が滲んでいる一本。
馬の背中のような
堂々の面構え。
これはたゆんではいられない。

勢いをつけて立ち向かえば
厨房にあふれる甘い香り。
上州地鶏との炊きあわせ、
朝摘みの菜の緑を添えて。

イノシシのように箸を動かす。





山椒を煮る。

 

黒保根という地名の歴史は古く、万葉集に登場する。

上毛野 久路保の嶺ろ(くろほのねろ)の久受葉(くずは)がた
愛(かな)しけ児らに いや離(ざか)り来も


桐生−足尾を結ぶ122号線。
道すがらに道の駅 黒保根「やまびこ」。
ここで、摘みたての山椒の葉を買った。
昨日のことである。

「今年は寒さでこの時期採れる山椒は去年の半分だね」

タラの芽 白うど わらび かき菜 山の蕗

屏風のように立つ山並みの緑をそのままならべた売場の上で
たしかに去年より少ない山椒の葉のスペース。
一抱え買う。


この世で一番上手いと感じた食べ物は何か
というインタビューがあり
迷うこと無く
祖母が漬けた梅酒の梅、と答えたことがある。
母方の祖母は手まめでいろいろなものを拵えた。
こんにゃくも玉から育て、自家製のものを作っていた。
山から山椒を摘んできて新聞紙一杯に広げる。
ゴミや棘を取り払うのを手伝った。
山のような手間仕事の山椒が
ひと壜の山椒煮になってしまう。
幼い頃からこの味。

祖母が作った山椒煮の味をたよりに
自分で拵えはじめてから
どれくらい経つだろうか。

年にこの時期だけ
厨房に広がる
しびれるような晩春の香り。

メシによし、酒によし。



手羽焼の夜

話をしつつ夜更かし。

 
上州鶏の手羽先。
老酒をベースにしたタレにカルく漬けてから胡椒、炙り焼き。
ごま油の香りのソースでいただく、うるい のザクザク。

夕飯を食べるには遅すぎる。
寝てしまうには早すぎる。
小腹はすいたと思うものの、満腹したいわけでも無し。
中途半端な時間と
中途半端な腹ごこち。
そんなときに10分でできるひと品。
手羽焼の夜。

ある本を読もうと思う。
しかし、まとまって読まなければという気負いもあればこそ
例えば夜の小一時間
その一冊をスキップして
別の本を読んでしまう。
スキップされてしまうコンラート・ローレンツ。
浮気先はサミュエル・ベケット。

宇宙の膨張とともに広がる不可逆の「時間」。
それはそれとして、自分の気分で区分する単位の「時間」。
少しずつではあるが、夜更かしをしやすくなるこのごろ、
まとまった時間とはいいがたい中途半端な時間を
さらに少しずつ、押し広げるようにして、
春を呼び込む。
そんな中途半端な時間の押し広げに
くさびのように打ち込む、
これもまた中途半端な、好みの食いモノ。
今夜は、それが、この手羽。
春、真夜中のよそ見。


ひと化けす わが家のいなり寿司 

▽ いなり寿司。いただいた蕗味噌を軽く混ぜ込んで。

豆腐屋さんの店先に立つ。
あの、油揚げを・・・・・。
そういうだけで
あ、おいなりさんですか?
と声が返って来る。

お願いした枚数。
すぐにその場でさばいて
おいなりさん用にしてくれる。

「豆腐屋指数」という言葉をしばらく前から使っている。
町の実力を見る規準として山田が勝手に決めた。

旧市街地の路面店、
単品の製造販売、
価格競争は大資本の前には立ち向かうすべ無し。
そんな「地域の豆腐屋さん」が成り立つには
まずは
豆腐屋さんみずからの不断のご努力もある上に
歩いて買い物に来ざるを得ない
または、昔からの食習慣を変えることが出来ない
高齢者を中心とした地域住民が控えていることを忘れてはならない。
街の中に豆腐屋さんが生き残るということは
それだけ町の内々で消費活動をする住民コミュニティーが存在するということであり
その指標としての、「豆腐屋指数」である。
ちなみに、桐生本町1・2丁目は路面店として2軒(1軒は最近閉店)。
すなわち、ひとつのご町内につきひとつの豆腐屋さん。
これは「豆腐屋指数」的に言えば、最優良カテゴリーに属する。

高齢者問題という言葉があり
中心市街地の衰退化という言葉があり
それぞれに対策本部なるものもあるらしい。
何をどう対策するかは、存じ上げないが
自然生態系のように現在を息づく町の営みを
「負」のものとして捉えていてはもったいない。

昼前
サンダル履きでいくお豆腐屋さん。
山田の注文に
オカミさんと息子さんの二人で
アブラアゲの腹を開いてくれる姿が
わが家のおいなりさんを
ただならぬものにひと化けさせてくれる。


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