自己ちょっかい
当然のことながら、 写真を撮っていると自分は写らない。
むしろ、自分の姿を見たくないので カメラを持つのである。
10月にしては暑いホームの上を歩きながら
何が撮りたいわけでもなく 写真を撮る。
撮るからには やれ、好みの構図だの、色合いだのというものが出てくるわけだけれど
それがあらかじめあるわけではなく ようは、ことのなり行きでの自分らしさめいたものであって。
とりあえずの自分らしさめいたものが
どのような反応を示すのか知りたくて
また何かをカタチにしてみる。
自己表現、と言われると、ちょっと面映ゆい。
自分というものすべてを意識が統括しているという認識を離れ
いわば予想もしない自分の感覚にちょっかいを出そうというのだが
となれば 「自己ちょっかい」 とでもいうべきか。
いささか、危険なにおいもしなくもないが。
白露に舌のとどかぬやすけさよ 耕司