虹とねこじゃらし
もう光合成などもしない
色づき始めた葉を
太陽が照らしている。
照らされている葉を
この角度からこの時に眺めている。
この世に虹というものは「存在」しない。
虹という現象を目撃するものがいるだけだ。
太陽の光と大気中の水分とが作り出す色彩の華を
その角度からその時に見届けることで
はじめて「虹」は認識される。
見届けられることで初めてあらわれる美
それは、
たとえば、今日は、天満宮のイチョウの黄に。
2011年の震災の折に崩れたまま
5年の歳月に崩壊も進み
ともあれなお立ち続ける家屋もあって
その屋根の
すでに枯色を示している猫じゃらしに
西日
その明るさの11月の。
たしかにそれぞれはそこに存在する物質ではあるが
この角度でこの時に見るものは
存在している物質だけではない。
さびしさよ馬を見に来て馬を見る 山川蝉夫