蓮に、露。
その朝方の、つかのまの。
あれはたしか朝顔の花ではあったけれど
花と露とを
栖(すみか)と人とになぞらえたのは、鴨長明。
いずれも無常ということで。
時をそこにとどめようとするからこそ
さまざまの変化を虚しく感じるのかもしれないけれど
時のすぎゆくままに、どんよりと流されていると
光陰の去り行くも、それほど切迫したものはでない。
それぞれに止まり、ゆるんだゼンマイに
ほのぼのとウズを巻く背泳ぎの無常。
この夏から
大風呂敷の修復がはじまる。
おそらくは創建当時から一度も本格的に直されることがなかった
屋根に着手。すべての瓦をいったんおろし
家屋の構造体の修復/補強を施し、ふたたび往時の瓦を乗せる。
つまり、160年目の大仕事。
160年の間に
人もモノも花と露のたとえのごとく
あるいは消え、あるいは去り、その消ゆるも忘れられ、去るをも知られず。
一方、この屋敷は、ゆっくり朽ちながら
ゆっくりと己が身を時のながれにまかせて来た。
このたび、本格的に調査していただくにあたり
封印されていた空間に光があたることとなった。
おそらくここ(居間の真上/二階建てなれど二階部分が無いエリア)には
部屋があるだろうという話は出ていたのだけれど
その話が、現実の探索の対象になったのである。
前回の震災以降の修復工事の際に開けておいた
二階の納戸の穴が
ふたたび
ひらかれた。
さて、この話は
これから気長に進めてゆくこととしよう。
このブログもずいぶんと手を付けずに来たけれど
(なんだかほんとうに慌ただしかったので)
(今も慌ただしいのだけれど、この部屋のことは書きたかったのです)
ま、報告をすこしずつ。
その部屋の写真も、また、いずれ。
ただ、誰も訪れず、誰も気にかけないままの空間に
ぼんやりと光が入り
ぼんやりと未来への歩みが始まったことだけは、確かなこと。
この屋根が取り払われ
この屋根裏の謎の部屋から
青空が見える日がくるのであろう。
その時、そこから、空を見てみよう。
無常の流れに身を委ね
朽ちつつゆるり背泳ぎの
その眼に映って来た空と思うべく。
まあ、それは秋、になりますでしょうか。