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「白瀧姫ものがたり」




↑ 「白瀧姫ものがたり」。依頼に応じて、制作。
  作・音楽・朗読 山田耕司



秋の散歩

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眠いとき。

寝る。
散歩に出る。


眠さを甘やかして
眠さを戒めて

いずれにせよ
思うがままに眠さを遇することができれば
それで、よい。



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自分の思い通りに
眠さを遇することができそうで、できない。

それは、仕事。
それは、家事。

もしくは
自分が思い通りに生きることを
あえて制限することで満ち足りる自分というのがいて
それが、眠さを叱りつける。

行きどころを失った眠さは
ときに私をさらに育て
ときに私を怠惰へと導く。


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たまさかにでかける散歩の。

それはもちろん健康のためだったり
風景を楽しむためだったりするのだけれど。

折りたたんでいたために少なからずシビレて鈍くなっている
思うがままに時を過ごそうとする意志のようなものを
もみほぐしたり和らげたりくつろがせたり、と、まあ

そんなぶらぶら歩き。





あたたかいところへ出て

さて、帰ろうか。




そこと、ここ。

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誰かが、その鍵をもっているのだろうけれど。
鍵の持ち主の意図などはかまうことなく
秋冷のおよぶところの
そこと、ここ。


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決められた地面の広さに
ほどほどに与えられた食料をついばんで、鳥の。

さて、
名残のヤブ蚊を払いながら
そんな姿を見ていて、わたくしの。

ともに日暮れて
そこと、ここ。

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小学校の運動会に
みんなで食べるお弁当を差し入れて

アゴをあげ胸を突き出しながら
最後尾をくる
あの子は、誰だろう。

万国旗の
紐のしなりにトンボがとまっていて
あの日と、この日。


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いちまいいちまい
透明な袋に入れられた赤い羽根が
重なって。

それとこれは
区分されながら
なお
ともに響きあい
それにも無く
これにも無い
そうしたあわいの為す味わいをもたらし。

一歩離れて
そこと、ここ
双方がひとつの視野におさまる。
秋が、ふりかえりの季であるならば
まさしくその視座。
それとなくキンモクセイのかおりのする。







秋風や模様の違ふ皿二つ   原 石鼎





 

無常、その背泳ぎの。

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蓮に、露。
その朝方の、つかのまの。



あれはたしか朝顔の花ではあったけれど
花と露とを
栖(すみか)と人とになぞらえたのは、鴨長明。

いずれも無常ということで。



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時をそこにとどめようとするからこそ
さまざまの変化を虚しく感じるのかもしれないけれど

時のすぎゆくままに、どんよりと流されていると
光陰の去り行くも、それほど切迫したものはでない。

それぞれに止まり、ゆるんだゼンマイに
ほのぼのとウズを巻く背泳ぎの無常。


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この夏から
大風呂敷の修復がはじまる。

おそらくは創建当時から一度も本格的に直されることがなかった
屋根に着手。すべての瓦をいったんおろし
家屋の構造体の修復/補強を施し、ふたたび往時の瓦を乗せる。
つまり、160年目の大仕事。


160年の間に
人もモノも花と露のたとえのごとく
あるいは消え、あるいは去り、その消ゆるも忘れられ、去るをも知られず。

一方、この屋敷は、ゆっくり朽ちながら
ゆっくりと己が身を時のながれにまかせて来た。

このたび、本格的に調査していただくにあたり
封印されていた空間に光があたることとなった。
おそらくここ(居間の真上/二階建てなれど二階部分が無いエリア)には
部屋があるだろうという話は出ていたのだけれど
その話が、現実の探索の対象になったのである。


前回の震災以降の修復工事の際に開けておいた
二階の納戸の穴が
ふたたび
ひらかれた。


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さて、この話は
これから気長に進めてゆくこととしよう。

このブログもずいぶんと手を付けずに来たけれど
(なんだかほんとうに慌ただしかったので)
(今も慌ただしいのだけれど、この部屋のことは書きたかったのです)
ま、報告をすこしずつ。


その部屋の写真も、また、いずれ。


ただ、誰も訪れず、誰も気にかけないままの空間に
ぼんやりと光が入り
ぼんやりと未来への歩みが始まったことだけは、確かなこと。


この屋根が取り払われ
この屋根裏の謎の部屋から
青空が見える日がくるのであろう。

その時、そこから、空を見てみよう。

無常の流れに身を委ね
朽ちつつゆるり背泳ぎの
その眼に映って来た空と思うべく。






まあ、それは秋、になりますでしょうか。


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春分の日の鯉が金箔のまなこで大衆に問いかけるので。

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過去にしかこだわることができないのは
淋しい事態ではなかろうか。


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「歴史」とは
国や民族や行政が作ってきたものなのかもしれないけれど

それはあくまで「そうだったらいいな」という願望を
天秤の反対側においてバランスをとりつづけなければならないタイプのもの。



昨日から明日へ
そんな時間のリアルさを組み立てているのは
「歴史」においては、無名とされるひとりひとりの営みなのであって。


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春分の日の空に
小学校の巨木、枝の隅々までかがやいて。








桐生本町二丁目 有鄰館にて
桐生祇園祭礼屋台の襖絵が展示されている。


この絵を「歴史」の遺物と見るか
ここに暮らす町衆が活動しつづけるための礎と見るか

それ、重要。



ちなみに、山田は祈りをこめて、後者として拝見。


正月、普段着の。

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昨年末に祖母が大往生。
新年は両親を招いて家族だけで過ごすことに。

タコとカマボコ以外は、自家製。
つまりは、お惣菜の詰め合わせ。


キンピラゴボウは、祖母の作り方を受け継いだもので。

ばあちゃんはいい顔をして旅立ったと、みなで語りつつ

正月、普段着の。









髪浴びて、初春。

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恭賀新年。



ブログ更新も、かなりひさびさ。
ご無沙汰申し上げておりました。





いただいたロウ梅に竹や松を合わせて
大風呂敷の店先に。


たしか昨年は、ロウ梅もまだ咲かず、寒さの春の。
はや、ひととせ。


時とは、そのうしろ姿しか見えないものではあるけれど
失ったり
滞ったり
そのもろもろを
つくろいきることなどできるわけもなく。

なれば
今年の風に吹かれてみるに如くは無く。



今年もどうぞよろしくお願いいたします。




冬枯や馬は眼澄みて髪浴びて  渡邊 白泉



風の中、おのが髪を浴びつつ。
まあ、初春、ではありますけれど。
まあ、浴びる程の毛は実際には生えておりませんけれども。




 

冠雪。指先には繃帯。

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晴れていて、寒い。

いつのまにか、冬。

渡良瀬川の奥には、赤城山、初冠雪の。

病院からの帰り道、中通り大橋からの。



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親指の先端を3針縫合した。

掃除をしているときの事故なのだけれど

痛さよりも鮮血がとまらないことへの驚きが先行して。

ああ、山田にもこんなに明るい色の血が流れているのか、などと。

結局、手術ということになって、それから1週間。



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チョークを持つのも
箸を持つのも
とくに支障なく。

傷口を濡らさないようにしなければならないので
常の炊事からは遠ざかりがちではあるけれど。


大きな紙に書をしたためていて
ああ、これはうまく書けたかなと思うと
そのときに、字に水滴が落ちてきてよけいなにじみができて。
それは、自らの汗。
汗かきの山田には、
繃帯に包まれた指先を濡らさないようにするための最大の敵は
汗。おのれの、しかも、しとどの。



赤城が冠雪しはじめるころ
まあ、怪我の養生にはうってつけの季節か、とも。


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山茶花よ、
抜糸まで、もう1週間を要するとのことだよ。




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このところのひきこもりぶりをそれとなく反省する。

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歳をとれば
すこしは季節を乗り切る知恵のようなものがつくのではないかと
うっすら予感してはいはいたけれど

このところ
知恵どころか
勘が鈍ってきたのでは、とさえ思うわけで。



10月とは、どのような気候だったのか
それとなく、あいまいに。

自分の体調の所為なのか
気象がいわゆる「異常」なのか
それはわからない。




花は芙蓉。
秋らしからぬ秋の色にて。





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秋明菊。


ああ、今年は部屋からあまり出ない。
それが、原因のひとつだろう。


もちろん仕事では外出するし
買い物にも出かける。


足りないのは
目的も無くふらりと表に出て
それなりにただようような散歩、それだ。




目的と目的とが時間の上に並んでいて
そのノリシロのようなところが欠けている、というところで。


そもそも
このブログにしても
およそそうしたノリシロであったのかもしれず。
このところの更新のおろそかなるをかえりみるに、つまり。






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玄関に植えてあるツリバナ。

今年は大量の実をつけて。



この赤を呼び水として表へ漂い出ることを
それとなく思いつつ
また仕事のつづきにて
机の前にたちかえる。

重たい体に
秋の汗をしとどに浮かべつつ。




鳥と魚とキンモクセイと。

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群れている黒い魚たちと
群れから離れようとしている金色の魚。


そばにいると、群れていると思えるのは同質のものたちだから、か。
金色の魚が、群れを拒絶しているように見てしまうのは
金色の魚に、黒い魚たちと同質のものを見とどけているからなのだろうか。


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そばにいても
異質なるものどもは
群れているようには見えない。

たまたま同じ日を浴びて
たまたま同じ時を過ぎ。


その「たまたま」の方が気になってくるわけで。



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キンモクセイの薫りをたどっていって
そのもっとも濃いところへと歩んでゆく。



群れ咲いているキンモクセイのしたにいくら立っていても
キンモクセイになれるわけでもなく。

異質なるものとして
その場を立ち去るときにふとあらわれる
「たまたま」の出会いを時空の広がりにおいて確認する、いわば宿命の俯瞰図。
われとキンモクセイとの関わりにではなく
われとキンモクセイをつつみこむ時空の方にむけられるまなざし。




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10月の公園の。
誰もが近寄ることができるのに
誰もが近寄らない
にこやかなる遊具の
そのめかくしの
濁った白の。


近づいて
しばらくながめ
足早に去る。

鳥と魚とキンモクセイとを思いつつ。



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