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到着 『新撰21』

地元の本屋さんで注文。
やっときました、新撰21

俳句のアンソロジー
あまつさえ
若い人たちの作品で構成されている書籍が
流通の中で
手から手へ渡されて
自分のもとへ来る
それも楽しみのうちである。

 

さて、
山田は明日から大晦日まで仕事三昧モード。
往復の電車は、この一冊でキマリ。

おお!
山田もU-45といえば該当するじゃないか、それなりに。
というわけで
よく読んで
遠からぬ先に読書感想文を書きます。


そして、13年「追悼 攝津幸彦」

深夜
佐藤きみこさんから届いた封筒もふくめて
大切にビニール袋に入れてある冊子を書架に発見。

あとがきをそのまま記す。

仙塩に住む「そして」のメンバーのうち四人が久しぶりに会したのは土井晩翠顕彰の催しがあった十月十九日、攝津幸彦の初七日のことである。場所は仙台駅前居酒屋「長州」。誰からとなく、話題は攝津幸彦の死に及び、これもまた誰が言い出すともなく悼句集を出そうという話になった。遠く離れてはいるが、攝津のために何かしたいという思いを、四人がそれぞれに温めていたのであった。何の計らいもなしに、思いつきで作った一集である。悼句の依頼にしても、当然依頼すべきだった多くの人が抜け落ちていたに違いない。そのことを詫びながら、しかし、この薄っぺらな紙の供養塔が、集まった人々の、攝津と彼の俳句への熱い思いを伝えてくれることと信じる。攝津幸彦よ、永遠に安らかに眠れ。   高野ムツオ

奥付より抜粋

《そして、》 悼 句集「追悼 攝津幸彦」 一九九六年十二月十五日発行  
発行者 池田澄子・大井恒行・佐藤きみこ・高野ムツオ・橋本七尾子・渡辺誠一郎

 

攝津さんに、「少年兵追ひつめられてパンツ脱ぐ、なんかより 少女兵追ひつめられてパンツ履く、の方が面白いと思うけど、どう?」と聞かれたことがある。何かのパーティーの席であった。どう答えたか、今では思い出せない。
唐突に人の心の中にいる。いつの間に踏み込んできたのかは知らないが、そこにいる。
攝津さんにはそんな印象がある。それは、こんな会話があったからなのか、それとも攝津幸彦の作品によるものなのかは、はっきり区分できない。
ただ、今もって、いや、自分にとっては、今こそ、読み返すことの多い作家であり、そのたびに、その句に不意をつかれわが心中への侵入を許してしまうのである。

さて、この追悼句集、攝津さんの急逝から、わずか二ヶ月で発行されている。高野ムツオさんのあとがきからは、追悼という趣旨もさることながら、攝津幸彦に突き動かされてしまう創造性のようなパワーさえうかがえる。この短時間で句をなし、送付した作者たちに感銘を受ける。さらに、企画し発行した方々には敬意を捧げずにいられない。

パラパラめくっていて、うっと唸った。自分の句があるのである。
句を献じていたからこそ、この句集が手元にある。そのことを理解するのに時間がかかった。
実のところ、このあたりは、まったく俳句と関わらないようにしていた時期であった。
俳句を書こうという意志を失ったことは無い。しかし、書くそばからすべて消し、すでに書きためた句も消し、つまり、自分の中の批評性らしきものが、自分が書くものを、弾劾し続けていたような時代である。そういう批評性は、<エンジンの空ぶかし>みたいなもんで、事態を1cmたりとも前へ進めることにならない、と思うようになったのは、それからしばらくしてからのこと。この時代は、まだ、自己勾留のど真ん中。
橋本七尾子さんの心配りであろう、山田はここに参加していた。
それは、断とうとしても断ち切れない俳句との関わり、により突き動かされたのかもしれない。また、攝津幸彦が不在であることへの喪失感や、うまく言えないが「焦り」のようなもの、に押し出された結果かもしれない。しかし、もっとリアルな感覚がその時の自分を突き動かしたのを、この冊子を手に思い出した。その感覚の核は、攝津幸彦の<不在>ではなく、その句が不意に心の中にあるような、その<存在>から生まれてきた。いくらその形式やそれに向かい合う自己に思いを巡らそうとも、「俳句作品は書かなければ生まれてこない」というクリアで単純な感覚、というべきであろうか。
「円錐」に復帰するまでには、この1996年からさらに6年近くの時間を要している。勾留のさなかに生まれた句。攝津幸彦には、よほど突き動かされたのである。

天上も鯨の煮ゆる昼となり      あざ 蓉子
あの髭を心に俳のしむ身かな     浅沼  璞
たましいは溶けぬものなり龍の玉   淺沼眞規子
葉脈に心遺しのばったかな      足立  絮
学友の俳友の死に黙すのみ      伊丹 啓子
夜寒さの嘘でしょと声荒げしより   池田 澄子
秋の葬百円ほどになる頭部      市川 恂々   
月清し行き渡りたる大吟醸      江川 一枝
旅立つに秋のともしは点けつ放し   内田 美紗
草紅葉いまも馬上は淋しいか     宇多喜代子
大兄の鳴りたる骨よ秋の風      大井 恒行
菊月夜遅れて濡るゝ靴の黒      オオヒロノリコ
TOKYOは秋、攝津幸彦死す       大本 義幸
仄かなる永劫に泛く綿虫は      小川双々子
新世紀攝津なき六甲颪かな      大屋 達治
秋すでに青を反復してゐたり     荻原久美子
河口の伝説は海へと広がれり     斧田 千晴
秋風のゆくへ見とどけたまひしや   片山由美子
煌煌と雪を抱きこむ幸彦淨土     柿本 多映
死を告げる受話器が熱し夕紅葉    鎌倉 佐弓
一灯をかかげ夜霧に消えゆけり    桂  信子
なきがらに髭のなかりし木の実かな  岸本 直毅
時雨るれば石の匂いか幸彦逝く    岸本マチ子
遠き死にゆるゆる空を掴める紅葉   黒木 浩子
俳死といふ秋の死もあるか幸彦よ   桑原 三郎
完璧の時雨 のち晴れ幸彦葬     五島 エミ
天体に肢体を足して水澄めり     五島 高資
五億年の留守を思えり雁来紅     齋藤 愼爾
餡パンに聖痕がある十月は      斎藤 冬海
戦ぎつつダリヤ一輪天空へ      斎藤 康子
そしていま隠れん坊の虜笑む     佐藤 鬼房
そして銀漢へと還りゆかれしや    佐藤 和枝
十月十三日の露地みなみかぜ     佐藤きみこ
人間に入るくるめきや花十字     佐藤 通雅
山彦海彦俳句の御恩は幸彦へ     澤  好摩
犀以後のきみへ華々しき秋野     渋川 京子
秋蝶に消えてしまった蜃気楼     椎名 陽子
白さざんか詮なきことは火の如し   鈴木 紀子
常しえに天心を行く夜汽車かな    須藤  徹
黄泉路また黄落なりや七七忌     攝津よしこ
長き夜をこの世のこととなすばかり  妹尾  健
何となくあした見まはすとろろ目し  妹尾健太郎
天界を夕べ吹くべしみなみかぜ    高澤 晶子
そしてのち攝津も陸奥も秋の雪    高野ムツオ
死に場所をさがしていたる煙かな   高橋比呂子
桐一葉落ち来てふれし物の音     高橋  龍
うしろ姿が笑つてゐるよ枯山河    遠山 陽子
ダンディズム木枯らし濡らし星となり 豊田 雀雀
歩み去る俎橋あゝノオトし美し    長岡裕一郎
十月より又淋しいぞ十一月      中西ひろ美
枯卓にて汝が腹水を饗應なさむ    中原 道夫
紅玉は夜汽車のにほひして霖雨    中村 十朗
言霊の山彦海彦幸彦よ        中村 苑子
秋雷一閃ワタクシ一名路地裏に    中村  裕
攝津死すしぐれのパリに木の根の香  夏石 番矢
口髭の幸彦銀河を逃走中       鳴戸 奈菜
秋天へ白球を追い還らざる      仁平  勝
大いなる髭の男を見失う       橋本七尾子
秋冷の陸よぎりゆく雄鹿かな     秦  夕美
くらがりのどこか明るき男郎花    花森 こま
翔ぶものの小さくなりてゆく秋よ   林   桂
いつの間にかレコード終る秋の暮   深町 一夫
黒革の上着がふいと 歌舞伎町    堀本  吟
髭もろとも往にし幸彦秋光芒     松崎  豊
凩もつたなし攝津さんの死後     正木ゆう子
シンデイルワタクシトカクアキノミチ 増田まさみ
電話鳴る林檎の皮剥くその途中    三輪 初子
聖書といふ書物の森も秋深し     皆吉  司
鳴り止んで秋の風鈴日を集む     森沢  程
くぢらほど無口な靴で去る人よ    守谷 茂泰
路地裏の金魚のゐない金魚玉     三橋 敏雄
まぼろしの名句数々望の月      山崎十死生
帰りゆく鬼の背丈や初時雨      山田 耕司
もみずるや攝津幸彦天測す      山中 葛子
白露や骨相にある絹の道       山本 敏倖
まだ星になるには早いダリヤかな   柳谷  昌
文芸の出来事として十月尽      和田 悟朗
晩秋の日の丸は濡れかくれんぼ    渡辺誠一郎

抜粋しようと思ったが、追悼の意を込めた一人一句を取捨することあたわず。





澤好摩 句集 <現代俳句文庫>

澤 好摩
ふらんす堂
¥ 1,260
(2009-02)
コメント:解説 横山康夫/山田耕司

 おおむね俳句には約束事が多いとされる。逆に言えば約束事を守れば誰にでも俳句が書けることになる。この約束事を「他律の壁」と呼ぶならば、澤好摩の俳句は「自律の壁」とでもいうべき方法意識によって磨きをかけられている。それは俳句の約束と向かい合うのではなく、俳句形式そのものと向き合うことで得られてきた感性であり、かつ、その発見と逡巡は常に繰り返されている。
 その徒労にもなりかねない行為へと澤好摩を突き動かしているのは、渡邊白泉にも通ずるような人間への悲しいまでの関心とあきらめ、そして何より俳句形式への愛情にほかならない。
 そりゃあ、俳句に向かい合う人には多かれ少なかれ形式への愛情はあるものだろうが、それがその人の個性にまでなっている、それが澤好摩である。
            <句集 解説 山田耕司「澤好摩について」より抜粋>

澤 好摩
1944年5月22日東京都に生まれる。1963年、大学の俳句研究会に参加。翌年秋、坪内稔典らと全国学生俳句連盟を結成。結社誌「いたどり」「青玄」「草苑」を経て、1968年に坪内稔典、攝津幸彦らと同人誌「日時計」創刊。1974年終刊。1971年、折笠美秋に薦められ「俳句評論」に参加、高柳重信に師事、総合誌「俳句研究」の編集に携わる。1985年、「俳句研究」転売の後、翌年、総合誌「俳句空間」を立ち上げるも、六号より弘栄堂に移行。1978年、「天敵」を解消して、夏石番矢・林桂らと「俳句研究」五〇句競作で登場した若手俳人による同人誌「未定」創刊。1990年に退会。翌年、「円錐」創刊、編集発行人として現在に至る。

「最後の走者」抄 
「印象」抄 
「風影」抄
「風影」以後


 



増田まさみ句集 「ユキノチクモリ」


 うろこぐも不毛の愛に毛が少し      「漂流」より

3は1で割り切れるが
1は3で割り切れない
俳句作品を、散文的な言葉で説明できるはずだと考える人は
1を3で割るような事態に至ることを作句において避ける。
作る際には、単語と単語を組み立てて
すなわち読み解くときも
意味を単語単位で解体すれば「理解」できるという寸法だ。
そうした「理解」を
健やかなことと決めている人には
増田まさみの句たちは
さぞかし不健康なものとして見えることになるだろう。
読後感は
整数の潔さではなく
虚数のほのぐらさ。

俳句によって何かを表現する
とはどういうことなのだろうか。
  うらをみせおもてをみせてちるもみぢ 良寛
これは「理解」しやすい。
まず、3を1で割るように
散文として言い直すことができる。
加えて、その内容が
人生の「喩」として、雄弁である。
「文は人なり」
その明るさの中にある。

それが悪いというわけではない。

明るさというものは
たいてい
ほのぐらさに対して、不寛容である。
「理解」できないものは、存在する価値がない
と言い放つような不寛容さである。

俳句は、人生の「喩」なのだろうか。
その問に唯一の答えなどはないはずだ。
であるからこそ
言葉の産毛のような
言葉そのものの誘惑に耳を傾け
そのあげく割り切れない世界へと連れて行かれてしまう作者もいる。

不毛の愛
ここに「毛が少し」
とは、おそらく、何らかの人生体験を背景とする実感というよりは
だじゃれ や あそび に近いかもしれない。
「不毛の愛に毛が少し」
このフレーズのありようを
読者に伝える
いや
作者自身が感覚的に把握するよすがとして
「うろこぐも」が呼び出された。
あえて言えば
「文は文なり」
言葉と言葉が、作者の人生観を介さずに出会う
その面白さにいざなわれることに対して不安や背徳を抱かず
むしろその言葉群の示そうとしているものを
論理ではなく感覚、つまり五官で探る・・・
そうしてたどり着く言葉同士の飛躍。
作者は
自らがすでに獲得してきた感覚を
吹き飛ばしたり 飛び越えたりする
そんなビジョンと出会う契機として
俳句に向かい合っているのではないか。
そんなことを思わせてくれる句集である。
「理解」の不寛容さに屈服しない作家の履歴でもある。

増田まさみ (第四句集) ユキノチクモリ

装丁 増田まさみ  表紙画 立岡正幸
2009年10月27日 発行
発行所 霧工房 673-0854 兵庫県明石市東朝霧丘22-19
1600円



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