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さらば、コロッケハウス。

 
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それは
人の営みの都合で作られたモノで
かつては蔵と呼ばれていたが
ツタにのみこまれて
もはやかつての記憶すら薄れて
ああ、もう、こうして緑の固まりになるためにうまれて来たのではないか
そんな陶然とした気配をたたえるところにまで達したのが
こちらの物件
名づけて「コロッケハウス」

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こちらは、芽吹きの頃の風情にて。




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さて


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コロッケハウスは
この世から消えてしまいました。


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消えるのは
あっという間です。


消えるときに
叫ぶこともありません。



人々の記憶からも次第に姿を消してゆくことでしょう。



さて、
コロッケハウスは
もはやこうしてネットの世界にただようばかりになりました。



コロッケハウスの思い出 当ブログ初出 → コチラ








何見てんの?

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何見てんの?

そう聞かれて
なんと答えるとしようか。






どれでもあって
どれでもないような

強いて言えば

何見てんの?
聞かれるまで
何かを見ている意識は無かったわけで。


つまり
見えてはいたけど
見てはいなかったのであって。



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まあね

日々を
生かされてはいるけれど
生きているといえるかどうか

なんてところに
話を拡大できなくもないわけではあるが。




泥水も
泥水に映った空も

それぞれをよく見ようとして
眼を凝らし
よく見たことにして
なんだか安心したりするのは

それはそれで
何かを見失っているようでもあって。





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これはカエル。
いや、カエルの姿に彫られた石。


石を濡らせば
カエルらしさもきわだつようで。



さあ、
この状態で
何見てんの?
聞かれたら何と答えよう。


濡れている石
カエル






あ、すみません
昼メシのことを考えていました。




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昼メシは
弁当を持って

濡れている石のたくさんあるところへ


水が空を映しては砕け
たえまなく音はせせらぎ

聞こえていて
かつ
聞こうとしなくても身体の芯へ沁みるようでもあり。





それでも拭いきれないような
みずからのやっかいな意識のあればこそ

瀬音を聴きにではなく
聞こえていることすら意識しないような水の世界に浸りにきたというわけで。







「そのとき」のこと。

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コノハズク、だろうか。


本町一丁目の
巨人のようなクスノキの
その顔のあたりから
ホウホウホウと
月の夜の。



人間に聞かせるために鳴いているわけではあるまい。


聞かせたい相手がいてこそ鳴き。
おそらくは、恋。

時を得て
鳴くものは鳴き





さて、どうやって「そのとき」というものを識るのだろうか。





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睡蓮の鉢のわずかな環境を生き延びて
羽化の仕上げは
五月の朝の
風も無く。




時を得て
脱ぐものは脱ぎ。






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戻ることを許されない
一本道の時間の上

そのどこかに「そのとき」があるとして。






さて
摂理の時計にあらがうことでこそ
人が人として生きるための文明やら文化やらをこしらえて来たのだとすれば

いくらウチガワに耳を澄ましても
なかなか「そのとき」を告げる声などは聞こえないというわけで。

あるいは
「そのとき」を識るものは
もとより
ウチガワに耳を澄ますといったヤヤコしいことなど
したりはしないだろうし。



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関東地方は、梅雨入りとのこと

ニュースに聞いて。




さしていた傘をたたんで
雨の中を濡れながらあるいてみる。

すぐに挫折して
傘をさす。

メガネが
自分の体温で
くもる。

くもりながらも歩けないわけではなく
そうして
歩けないわけではないことにすっかり濁りながら
またひとつカドを曲がる。




虫を笑わない。

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日暮れて。

玄関のあかりに来るちいさな虫たち。









灯にこがれて
ここを離れず

あるいはさらに灯のそばへ


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そこから先はどこにも行けはしないものを。




虫の本能ができあがったころに
まだ夜の灯は無く。

虫が本能を修正するには
まだ人類の文明の歴史の長からず。





この星の上の虫の時間の
そのつかの間を
夜の太陽に命を落とし。


灯はわたしたちの所業なのだけれど
わたしという単位では
虫の方に自分を重ねてみたりもするわけで。






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夜の太陽へとエネルギーを送る装置と太陽。

言葉を得た代償として
本能を見失いつつあるのだとしたら
このまま
言葉と本能との中途半端な夕暮れをそれなりに漂っていくしかないのかもね。




ぶらぶらと初夏。
路地に薫って栗の花。


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人が作ったモノを
人が作った機械がこわしてゆく。

虫にも太陽にもかかわりのない人と人との都合だけれど。








赤くらがりに赤消えて。

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ぼんやりと。
新緑の中の。




滞在中の渡辺華山が立ったといわれる丘の上から
ながめる桐生。




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緑くらがり


移動だけならば
舗装された道もあるのだけれど
したがって
移動という目的よりは
ここを歩くことそのものを楽しみとして
だだだだっと。


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シベに実りのステージを提供するだけならば
これほどの造型が必要であったのかと思いつつ
白と白との重なりの白くらがりにのみこまれ
もはや植物を見ていることも忘れはじめて。



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ほろびつつ
生殖のせつない営みをあらわにして

なお
花でありつづけようとする白の余韻。






生きることの本来の目的などはよくわからないけれど
その目的からこぼれおちる
たとえば
緑くらがり
白くらがり
そこに漂っていたい気持ちはよくわかる。




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あれは太陽であると理解はしているけれど


それを確かめに足を運んできたわけでもなく

むしろ
何の役にも立たないこととして
ぼんやりながめているわけで。


赤くらがりに
赤消えて

まなこのうちは
なお
赤し。






白に白。夕暮れに古き家々。

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木漏れ日に
白い花。





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泥より伸びて
蓮若葉。






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雪解けの
波しぶき。

セグロセキレイ。

白に白。



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白。
遠望にも。
岳は谷川。






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木のふところの
緑色をしたうすくらがりに
ヒヨドリの
時おり鳴いて。





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夕暮れに
古き家々。


夕暮れは
近づいてきて会釈をし
そのままうす闇の路地へ折れた。

水のにおい。
音のなわとび。






アマンジャクのこと。

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ひげもじゃの大男が
抜き身のカタナをひっさげてどこかをにらんでいる。
怖くて
道を聞くことさえ出来そうにも無い。



この大男は何者なのかということだが
コードネームは「鍾馗さま」。

鍾馗さまと聞いて
ああ、鍾馗さまね と納得出来る人はそれでよいが
え? 誰? という人もいることだろう。

え? 誰? といぶかしむ人を
「基礎教養の無い人」と片付けてしまう傾向が無いわけでもない。


昔の人にはすべて基礎教養があったと思いがちではあるけれど
実のところ
あまり違いは無かった
いや
情報の流通しやすい現代の方が
「あらかじめの知識」を持ちやすいくらいなのではないかと思う。



この大男の足元にいるのは
赤いネコ、ではない。
鬼である。
ふんづけられるアマンジャク。

これは悪の約束。邪であることの記号。
これをふんづけているので
この大男は〈善〉の領域にいることとなる。

このアマンジャクのすがたから〈善〉〈悪〉の約束を見分けること
それが昔の人の基礎教養といえば基礎教養だったかもしれない。
約束事を約束事として受け取ること
絵の巧拙よりも、示されている意味を理解することが一枚上に位置するわけで
であるからこそ
意味を充たしさえすれば
画家はおのれの妄想を思うがままに遊ばせるのも、また可なるべし。


現代人は
絵を意味から解放しようとした近代人の末裔で
もはや
そこに示されていることの意味やら約束を見失い
意味からの解放の衝撃にあふれた印象派の作品なぞも「泰西名画」でひとくくり
この色が好きだの
雰囲気がいいだの
値段が高そうだの
ネットで見たことがあるだの
そんな感想しか言えなくなっているとの指摘がある。
なるほど。

そういえなくもないが
約束という枠を見失って右往左往することも
また魂の旅路のありようでもあり
あながち現代人が不幸であるとも言い切れない。


それはそうと
〈鍾馗さま〉の〈善〉を際立たせるつもりならば
アマンジャクの〈悪〉ぶりを際立たせた方が
モリアガルとは思われるものの

さて
このアマンジャクのかわいらしいこと。


約束事が行き渡っているところでは
約束を約束たらしめる記号というものは
それほど居丈高になることも無く
むしろ作家の人柄等をひきうける余韻さえも示しているようである。


したがって
たいしたことが無いものでも
やたらと〈悪〉に仕立て上げ
それを攻撃することが〈善〉だと言い張る行為は
約束事がゆるみ廃れ
あるいは人々が従来の約束事に不満やら疑念を持っている証左ともいえそうで。


現代のニュースの
善悪のイコンが
必要以上に大げさなるもむべなるべし。





さても
そうした人間の営みのスキマで
今年もアマンジャクはすこやかにふんづけられておわします
その5月の
しょうぶあやめの花の奥。






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追記 これらのノボリは山鹿コレクションの筒描き画。
桐生市本町2丁目 矢野商店の黒い梁がうつくしい店内に展示されています。


緑の沖、その5月の。

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あの、

ついこのあいだ
椿がなかなか咲かないなんて心配していたんですけど。


いつのまにこんなに大きくなって
おまけに花まで咲かせて
ゼニアオイ
集会所の前の。



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あの、

毎年そんなようなことを言っていて
なお
今年もぼやいているわけで

これって
円のように循環しているのだろうかと
立ち止って考えていたら
暑い
暑いので日陰へ。



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いや

円環にみえて
元のところに戻るわけでないのであって。



スパイラル
ラセン

そのぐるぐるの
上り坂なのか
下り坂なのか


わたくしというかたまりの細胞のひとつひとつに
二重ラセンを泳がせながら
朽ちてゆく蔵にからまる緑のいのちをながめているわけで
とりあえず。



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わたしという細胞のかたまりに乗って

人が植えた緑と
勝手に生えて人の作ったモノをのみこむ緑とが
地続きでそれぞれねじれゆく
そんな近所に歩いて探検に行く

緑の沖
その5月の。

 

かげり方について。

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巣のなかにいて
親鳥はどこかへ行ってしまっていて。





そんなときの青空は
どきどきとかなしく、平たいことだろう。

あたたかな影が
おりてくるのを
待ちわびる
いくすじもの細い首。







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青。



萌ゆるみどりと
ほろびゆく建造物との
交点

その背景の。





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シランが咲いていて。
シランと明るい空との間に立ち。





日の光は
誰にも等しく


かげり方は
人それぞれに
またその折々に
ことなるものにて。
その濃淡も
重たさも。





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太陽が差し込まない大風呂敷の内座敷

今日もまた仕事用の文章を書いているのだけれど
その準備として
暗い座敷に光をかたよらせる。
かたよる光に、花をいける。







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あるいは
5月5日の影を招き入れて。


(桐生の旧家で咲いた花をいただきました。ありがとうございます。)




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組み立てては
解体する

同じ姿は無い
日々の影

それを読み取りながら

また
それを忘れつつ。







まあ、ね。


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その中に蝶がいると思うだけで帽子がいつもの帽子ではなくなるように。

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遠くへ行きたい。
どこでもいいから遠くへ行きたい。
遠くへ行けるのは、天才だけだ。       寺山修司  『若き日の啄木』より



良い人は天国へ行ける。
悪い人はどこへでも行ける。         金原まさ子 『カルナヴァル』より
















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歩いて行けるところに1955年生まれのゾウがいる。


ゾウがこの丘にいるということに
ほぼ毎日おどろく。




おどろいて
それから部屋にもどって
珈琲を飲んだりする。


ときおりは
ほんとうにいるんだなと確かめるために
ゾウの前まで歩いていくのだけれど
そこで何をするというわけでもないのだし
そのままフラミンゴのところまで歩みを進め
無言で坂をくだってくるのはいつものことで。




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あのゾウも見ているのだろうと思うだけで
夕日の色がかなしくてあまい奥行きをもつように

その中に蝶がいると思うだけで
帽子がいつもの帽子ではなくなるように。




どこにも行かず空を見る。




ゾウはこの丘のどこかにいて
蝶は帽子の暗がりにおそらくはふるえ。





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日が暮れる。
どこにも行かぬ連休の。












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